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ピンクソファ

私と音楽

10)

   lastrada   2020年3月22日・掲載

  (ラストラーダ)

~G線上のバッハと私~

2011年3月11日金曜日 午後2時46分、あなたは何をしていましたか。

 

私は某音楽教室にて低年齢児クラスのレッスンの最中でした。

何度目かの地震の時、換気扇の紐が揺れ少しざわめくと共に、東北地方で地震が起きたらしいとわかり、仙台に妹が住んでいるという保護者は教室の外へ出て何度も携帯電話の発信を試みましたが一向に繋がらない様子です。電話が繋がらないと、さらに不安感が増してゆき、そのお子さんも状況は掴めないながらも戸惑いの表情をみせていました。

 

その日はそのまま普段通りに仕事を終えて夜に帰宅すると状況は深刻さを増していました。

ここからが私の葛藤の始まりです。

宮城県といえば父方の祖父の出身地で伯父が住んでいます。

また趣味を通じた仲間の赴任先でした。

(仙台から車で1時間程の矢本町、のちに鳴瀬町と合併して東松島市となっています)

 

「小さな街の静かで穏やかな人がやってる店に出合えたのは財産。

港はないが三陸の魚にはこと欠かず、サンマの刺身や鰹が美味い、デカい、安い。

夏の夕方は行く道すがらの風情は最高」というのが口癖でした。

 

職場にはパイロットの方々がいて、ある意味、常に死と向かい合わせの仕事をしている皆さんは自己管理能力が高く、そこには絶えず「笑い」があったそうです。

 

またこんな話もどこかで読んだことがあります。

「パニックの特効薬は笑いなんです。危機管理をしている連中は、洋の東西を問わずブラックユーモアリストですよ。とんでもない時に、みんなを笑わせる。~佐々淳行・元内閣安全保障室長)」

まさに「笑い」はナラティブ音楽療法の基本です。

 

仙台以外の場所でも、地震、津波・原発・・・と、前代未聞なことが続きます。

 

翌日の土曜日はオフでしたが、日曜日に3歳児クラスのおためしレッスンが予定されていて、どんより重い心になってしまった私は「大災害が起きているのに、おためしレッスンするの?」と自問自答が続き、延期を願う始末でした。

お昼頃には参加者名簿がFAXにて届き、もう逃げられないと覚悟をし準備を始めたものの、TV映像は衝撃の連続。心ここにあらずの理由は親戚の安否不明、水没した松島基地等々、考えると考える程に、

『こんな状況では仕事はできないわ。いいえ、あなたはプロでしょう』と、もう一人の私が激を飛ばす。その繰り返しでした。

 

事前記入アンケートを読みこんで参加者個々人の性格、嗜好を記入したり、プレゼンテーション(教室メソッドの理念、コースの概要など)の練習、曲をかけての展開練習と進み、最後は鑑賞していただく曲の練習と続きました。

 

その時は世情を鑑み、ノリノリの曲調ではなく、バッハの「G線上のアリア」をエレクトーンで弾くことを選択していました。

1回弾き終わったあと、「ん・・・?」と感じ、2回、3回と繰り返し弾いているうちに気が付くと先程までの不安が消えているではありませんか。曲の中で様々な感情が開放されて吸い取られて天の神様が受け取って下さったようでした。

今にして思うと音楽セラピーですね。

バッハには、本当に助けていただきました。バッハは私にとって心の恩人です。

バッハゆえに効果があったのか、他の作曲家ではどうだったのかと今となっては検証はできませんが、音楽療法を通してこれから探求したいと思っています。

 

心が平穏に戻ったおかげで、心から音楽の楽しさを発信でき、おためしレッスンも無事に終えることができました。

 

その時、入会して下さった子供達が今はもう小学6年生になっています。

ワンワン泣いたり、椅子から落ちそうに居眠りしていた幼児が、生意気な言葉使いになり、この春から中学生です。

2月のソロコンサートでは、私より感性豊かに堂々とバッハやショパンを弾いており、あの3.11がよみがえり感慨深いものがありました。

 

また、あの頃は「安全圏にいる罪悪感」もストレスの1つでしたが、その後、被害のなかった地域は自粛するのではなく経済を活性化させて被災地の復興を支援しようという空気になったことは良いことでした。

 

そして、2020年の3月現在、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて音楽教室は休講に入っています。

「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の見解」によりますと、

・換気の悪い密閉空間

・人が密集している

・近距離で会話や発声が行われる

以上の3つが患者集団(クラスター)発生の可能性が高いということで、防音室にて数組の親子と講師が集まり、1時間、歌ったり、スキンシップを交えたレッスンはまさに合致する点ばかりです。

しかしここで、1つだけ言わせていただくと、教室は喫煙・飲酒・飲食は一切なく、換気や衛生面は日頃から対策を講じており、最大で1時間ということで(講師は数時間)、ライブハウスや屋形船と全く同じではないと思う次第です。

しかし、皆さんの生命の安全という観点から休講は必然の対応であり、万が一、媒介になったら・・・と想像すると不安でしたので、内心安堵もいたしました。

 

私は3・11のバッハの経験もありますし、さらにナラティブ音楽療法での学びを通してメンタルコントロールができますが、子供達は違います。

きくところでは

・発散できずに力を持て余し、凶暴になりつつある(小学低学年)

・2月下旬に突然取り上げられた最後の小学校生活により、急に卒業式を迎えることになり友達や先生とのお別れの時間がなく、気持ちの切り替えができない(小学6年生)

・高校生活へ向けての準備期間に心がついてゆかない(中学3年生)

などの声を耳にしました。

 

こういった時こそ「音楽」の出番です。

休講と休校が決まった時から、保護者の了承を得た範囲でインターネットを用いて楽典や演奏動画の添削、電話口でピアノを弾いて貰う・・・などと、少しずつ展開しています。ネットでは感染の心配は皆無なのもメリットです。

その時に忘れてならないのはナラティブ音楽療法で学んだ「笑い」です。会話を通して不謹慎にならない程度でユーモアを交えながら、進めてゆくことです。少しでも心がポッと明るく和んでほしいとの心意気です。

 

2011年3月11日の数日後に伯父の無事は確認できましたが、松島基地は復興に時間がかかったようです。

たまたま先日、五輪聖火リレーが始まるに際して、ブルーインパルスが5色のスモークにて5つの輪を描いている予行をテレビで拝見しました。

ギャラリーからは歓声があがり、今この時期のブルーインパルスは「3・11復興シンボル」の1つだからこそ多くの方に勇気と希望を与えた事と思います。

 

この文章を書き進めている2020年3月14日現在、先行きがまだ見えず不透明ですが、こんな世の中だからこそ人々の心には音楽が必需品です。

私もバッハに救われた経験を元に、微力ながら音楽を通して心を癒したり、病の苦痛を少しでも緩和できるようになりたいと決意をあらたにすると共に、全世界での新型コロナウイルスの1日も早い終息を祈っています。

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