top of page

私と音楽

7)

   村上  貴志    2019年12月31日・掲載

地球上生きていく中で音や音楽は普段は意識してないが密接に関わりあって、共存しているのだとよく思います。

音楽アーティストはもちろんTVやyoutube等動画の中での音楽の重要性、一歩外にでてもあらゆる場所で音楽を耳にすることかと思います。

そんな環境で幼少期から育ち音楽は私にとっては、食事や寝る事と同じ様に生きていく中ではなくてはならない存在だと思います。

よく意識して音楽を聴く時は、朝の目覚まし的な癒しの音楽であったり、仕事の通勤の時はよくアップテンポのノリが良い曲を聴きます。

夜、就寝前や疲れた時に聴く音楽はゆったりしたジャズやクラシックを聴いたり身体に合わせた音楽を聴き音が身体の中を通り、元気で明るくしたり、興奮や気持ちの高揚などさまざまな良薬に変わります。

 

それは自発的に音楽が好きで楽しんでるという側面が10代20代の頃は強く、30代になり1年1年歳を重ねていくことにつれて音や音楽の効果や効能にすごく興味をもち一つの音で「自分自身こんなにも影響をうけるのか」とすごく音楽という幅が一日一日広がっていく感覚になります。

 

映像につけるBGMであったり、駅の構内で流れる音楽等意図的な音以外にも、電車や乗り物のタイヤと道路がこすれる音であったり環境音にもリズムや音程がありそれらが音楽に近い存在だと私は思います。

今はDTM等のコンピューターミュージックの進歩とともに生活音等の効果音も音楽に組み込まれ多彩なビートや音素材として楽しませてくれます。

10代からギターを演奏し音楽を楽しみ親しんできて、DTMの中の音など色々な音との出会いを楽しみながら作曲活動や楽器演奏を行い今までは自分自身の欲求を満たすことが前面にでていたと思います。

その中で聴いて下さる人たちに少しでもエネルギーを与えることができまた音楽でそのエネルギーを与えられることの幸せを感じ今日まで音楽に触れあってきました。その環境の中で音楽を中心にライフスタイルを過ごしていました。

音楽の大切さを一番知った時は20代後半の時に、自律神経失調症からのうつ病を発症したのがきっかけでした。それまでは何をするにもエネルギッシュでアグレッシブに行動できていたのですが、うつ病になってからは自分の思っている行動ができなく自閉症にもなり社会からふさぎこむようになりました。

 

そして精神科の病院を紹介してもらい薬の服用がはじまったのですが、すぐに回復というわけにはいかず毎日自分をせめたり、自分を思い通りにコントロールできない自分に腹をたてていました。そういう時期が2,3年と続き今の現状を何とか変えたいと思ったきっかけをつくったのが音楽の力でした。

その時の気持ちは音楽を聴きたいと思わなくてベットの中でちぢこまっている自分がいました。けれどそういう自分を打開したく無造作に音楽をききこみました。その時に一番心に震え上がらせた楽曲がゆずの「栄光の架け橋」でした。

歌詞のメッセージ性やメロディーにうちひしがれ、毎日聴いては大声で歌いながら心が震え上がり涙を流していたのを今でも鮮明に覚えています。

音楽を聴き、歌い、感動をこんなにも感じたのは初めての経験でした。

「強く生きたい」「まだまだ頑張れる」等の気持ちがありふれ今日、これからもその精神の病の経験をした気持ちを絶対忘れないで、同じ苦しみをもっている人達や色々な悲しみや内面に痛みを背負っている人をすこしでも励まし、音楽の力を十分に発揮してプラス私の人柄で音楽療法士として皆さんを明るく、元気に笑顔に変えることができる事を信じていますし、音楽という無限に人の心を訴えるかけがえのないものを一生涯つきあい皆さんと触れ合っていきたいと思います。

bottom of page