重度・高齢の知的障害者への
音楽療法の導入と効果Ⅱ
笹本 知栄己
1級 音楽療法士
2級 メンタル音楽療法士
くず葉学園 支援員
はじめに
平成28年度より、平均支援区分5.5の18名の知的障害者の日中活動支援を担当してきた。18名の内74%が機能低下を示し、内7名が車イス、7名が歩行時の手繋ぎ支援を必要とする。平均年齢は58歳で、男性10名、女性8名である。
新型コロナウイルスによる感染拡大を受け、感染症が心配されるこの時期の活動は、支援員と利用者の検温、消毒、マスクの着用、換気、通常よりも利用者との距離をとり、握手などの接触を極力避け、安全で安心できる環境で音楽療法を実施してきた。
新型コロナウイルスの感染予防のため、令和2年5月は音楽活動は中止した。同年6月より現在まで1年3カ月にわたってかなり制限された活動になり、利用者の機能低下を心配している。
機能的な面の低下は、体組成測定、骨密度測定を実施する予定でありいずれ判明する。心理的な機能低下はないだろうか心配であったため、令和3年8月に音楽療法の効果測定を実施した。
その結果、顕著な後退は見られなかったので報告したい。
1.音楽療法とは
音楽療法は、音楽の持つ特性を活用し、健康の維持、心身の障害の機能回復、生活の質の向上、などを目的とする。
そういったニーズに応えるため、障害、年齢、性別は一切問わない。当園では、平成28年度から音楽療法を始めたが、音楽療法は大きく分けて「能動的音楽療法」と「受動的音楽療法」の2種類があり、能動的音楽療法は楽器を演奏する、歌う活動。受動的音楽療法は音楽を聴きながらリラクゼーションへ導く、イメージするなどの活動であり、それを組み合わせ、使い分けて、利用者のニーズにあったプログラムを提供してきた。
音楽は前頭葉を活性化すると言われており、音楽を聞くと感情を刺激し、やる気のもとのドーパミンが分泌され、ドーパミンが分泌されると、脳の司令塔と言われる前頭葉が活性化し、脳全体の回路が活発になると言われる。高齢者の音楽療法で、前頭葉が活性化したとの論文がある。(参照※1)
当園の利用者も、コロナ禍で様々な活動に制限がかかり、ストレス状態が続
き、感情が老化してしまうのではないかと心配した。コロナ禍だからこそ、感
染対策を行いながら心身を活性化する為に音楽療法を取り入れる必要があると思った。
感情が老化すると、些細なことで怒りっぽくなる、今まで楽しめていたものが楽しめない、他人の意見を受け入れることができずに衝突することが多くなる、楽しみが見つけられない、意欲がなくなる、億劫になる、というような状態になる。日常生活のモチベーションに関わるもので、ドーパミン仮説と言われる。
2.プログラムの実際
プログラムは集団で行う。グループダイナミックスを活用し、個と集団の相互刺激により、社会やコミュニティを意識する、周囲に関心を持つ、周りを見て意欲も育つ、孤独感や疎外感が和らぐ、というメリットを活用する。
現在17のプログラムがあり、令和2年6月から週に5回の体制から週に1~2回の回数制限になり、約1時間の実施となった。
主なものをあげると、歌、パラバルーン、リズム体操、パーカッション、発声、手あそびである。
3.プログラムの内容
音楽療法のプログラムは、支援員と利用者の信頼関係を基礎に、QOLの向上を目指す。「音楽的要素」のタイミングやリズム、テンポを合わせたり、音のやりとりを促す。プログラムでは、音楽の完成度を優先するのでなく、気持ちを第一に考える。音や音楽を通して交流を深め、人と人のつながりが感じられるようにし、信頼関係を育てる。
・あいさつの歌
コミュニケーションをとるため、プログラムを始める前に必ず「あいさつの歌」を行い、全員で活動の始まりを共有する。毎回同じ曲で行い「これから音楽が始まるね」とワクワクするように関わる。
・パラバルーン
利用者一人ひとりが力を出し、かつ全体がリズムに合わせるので、一体感
が生まれる。「一人ひとりが自分の力を出し、のびのびと表現する」ことと同時に、協調性も大事にし、仲間と力を合わせて取り組むことの楽しさを味わうようにする。
・パーカッション(打楽器)
打楽器は、打てば響くので「運動と感覚の統合」を促し注意力を高める。
他者と協調を促す効果がある。当初は、好き放題に鳴らすが、次第に支援員の声を聞くようになり、周りの様子を見るようになる。そして、みんなと一緒に鳴らせるようになる。
「スタート」「ストップ」の掛け声に対応できるようになり「ストップ」で音が消えて、音の余韻に浸る利用者もいる。また、自分が鳴らしていた楽器を他の利用者に譲る社会性も見られる。発語のない利用者が、強く叩いたり、リズムに乗って叩いたり、自分を表現することがある。振動が伝わりやすいバッファロードラムやフレームドラムのヘッドを触り、音が振動する感覚を楽しむこともある。
・おおきく「あ!」、小さく「あ!」の発声で深呼吸
まったく発語が無い、あるいは「あ」とか「う~」しか発声できない利用者が多く、そのような利用者に息や声をしっかり出してもらうプログラムである。1年半経って「あっ」と言えるようになった利用者がいた。新型コロナウイルスの予防で、深呼吸をして「肺活をしよう」と言われているが、深呼吸が出来る利用者は少ない、そこで4拍子(約4秒間)で「あ~あ~あ~あ~!」と声を出してもらう。4秒間声を出さなければならないので、自然に空気を沢山吸うことになる。
・終わりの歌
帰りの歌が流れると「終わりの意識」が芽生え、自分の中で気持ちの切り
替えがしやすくなる。無理に終わりにされるのではなく、納得して終ることができるのが、音楽の良さである。
4.プログラムの評価~利用者さんの成長
評価としては「意欲・表情・態度」「コミュニケーション」「音楽への反応」の3項目について、3人の職員で確認し5段階で評価をし、その平均を年度で追ってみた。
尺度は、5とてもよくなった、4少しよくなった、3変わらず、2少し悪くなった、1悪化した、の5段階である。
新型コロナウイルスによる感染拡大を受け、令和2年5月から1か月間活動は無く、6月から週に1~2回の活動となったが、評価表を見ると、利用者さんの状況は変わらずQOLが低下する事はなかったと感じる。いずれの項目でも維持が多かったので安心した。
5.事例紹介
「こだわりが強いHさんがプログラムに参加するようになった」
① 概要
Hさん:44歳
身長 170.5㎝
体重 57.0㎏
支援区分 5
障害者手帳 愛の手帳2
障害 知的障害
IQ 不明
家族構成 父・母・弟・弟。
疾病:知的障害・自閉症・糖尿病
言葉:なし
好きな事:
本を手に持ち、めくることを繰り返し、感触を楽しむ。
本を持てるだけ持つことにこだわる。
スポーツ番組や歌番組、ドリフの番組や時代劇等を笑顔で見ている姿がある。
嫌いな事:手に持っている本を取られると激しく抵抗する。
② 経過
2012年35歳の時に当園に入所。指示に対して行動のストップが多く、本を持つことへの固執が強い。また、場面転換や次の行動に移る時、行動拒否やパニックになる。
私は、入所4年目のHさんに会った。その時の様子でとても驚いたのが音楽プログラムの時間は、5~6冊の本を両手で持ち椅子に座るでもなく、2時間半ぐらい立ったままの姿であった。
本を持っていなければ、活動場所の移動ができない。
両手で本を沢山持っているので楽器が持てない。
音楽プログラに参加と言うより「ただそこに居る」だけであった。
しかし、「white christmas」「童謡」「歌謡曲」「交響曲」など様々なジャンルの音楽を聴くのは好きだった。
③ 初期のアプローチ
本を持ちながら日中活動へ移動し、活動時間中も本は手放せない。私の施設では午前に外に出て歩行をする健康プログラムがあり、その時だけは転倒のリスクもあるため「健康プログラムをします」と声掛けをし、強制的だが本を預かり歩行をしていたが、本が無くても取り組めていた。
雨の日は外に行けないので室内を「さんぽ」の曲に合わせてリズム歩行をする、その時は、本を手放せなかったが、CDを止め、外歩行と同じように本を預かり、「さんぽ」の曲を流すと、当初は本を持っている私を追いかけたり、本を目で追ったりしていたが、それを続けると、約1年間で本を意識することなく、室内歩行ができるようになった。
次は、パラバルーンの時にも本を預かり取り組んでもらうと成功した。このようにスモールステップで本への意識を少なくしていき、現在は、活動中は全く本への意識が無くなり、椅子に座り目を閉じて音楽を聴いて過ごせるようになった。
④ 中期のアプローチ
活動中は、聴く事だけに集中していた。音楽を止めると支援員に音楽を流してとアイコンタクトをしてくる。音楽が止まったままだと、入所クラスに戻ってしまうし、CDを鷲掴みにして折ってしまうこともある。
プログラムとプログラムの間は音楽が止まるので、「早く音楽をかけて!」と言う気持ちが先行する。
ボール入れの曲は「ジェンカ」だがとても好き。そこで、ボール入れの準備をすれば「ジェンカ」の曲が流れるというようにした。ボール入れの準備を支援員と一緒にやると、直ぐに理解しカゴの準備をするようになった。
このように、音楽を活用して、ボール入れのカゴの準備と片付けの依頼が成功した。
プログラムの取り組みでは楽器を持つ事から始める。叩く事よりこする動きが好きなので、こすると音が出る「ギロ」を提供してみる。
一緒に、大好きな「線路は続くよどこまでも」の曲に合わせて、支援員が楽器を持ち、彼に棒でこすってもらうが、途中で置いてしまう。
強制はせず、しかしあきらめずに、毎回「線路は続くよどこまでも」の時はマンツーで取り組むと、半年ほどで楽器を手放すことが無くなった。
また「線路は続くよどこまでも」の曲が流れると自ら「ギロ」を持とうとする姿も見られた。「あいさつの歌」の時は、鈴を持って行うようにしたところ、楽器への拒否感が無くなり興味を持つことができた。
「ギロ」の写真
音の振動が伝わりやすい「バッファロードラム」も楽しめるようになった。ボディータッチが苦手だったが、バッファロードラムの振動の感覚が好きになり、皮膚感覚を多用するリズム体操も拒否がなくなった。
Hさんはメロディーが好きである。CDから流れてくる曲に集中する。好きなメロディーが流れると、息の吸い込みが深くなる。
たまにだが、流れてくるメロディーに合わせて「あ~あ~」と歌うようになった。それが発展して支援員の声もしっかり聞く事ができるようになった。
「終わりの歌」で満足した顔で帰寮する。Hさんは、音楽を楽しんでもらえるようになったと思う。
入所施設のメリットは、良い意味でも悪い意味でもコンスタントな面である。「音楽を毎日楽しんでもらえる」メリットが活きたと思う。
6.プログラム展開で大切にしている事
利用者を知る事に尽きる。
「皆さんの事を何も知りません、だから知りたいのです。沢山教えてください」という気持ちで関わることを信条としている。
支援員として、利用者の状況を事前に知っておく事は当然だが、記録を読み話を聞いて、「この利用者さんはこういう人だから、○○しない方が良い」と否定的に言われると、事実かもしれないが悲しくなる。少しでもプラスになるように「貴方の事を知りたい、沢山教えてください」と言う謙虚な気持ちで接したい。そういう気持ちだと、必ず応えてくれるように思う。
そして、利用者は、楽器や歌や表情で自分をアピールしてくれるように思う。
おわりに
「利用者さんを受け入れ、気持ちを大切にする」という信条で取り組み、利用者さんと「穏やかで温かい関係」を持ち、利用者さんが「笑顔になってもらえる」ように努めてきた。
当園の理念である【共感し、共に育ち、共に生きる、共に自己実現を目指そう】を心掛けている。
支援員で音楽療法士の私は、利用者さんに共感することを大切にしてきた。自分自身も含めて私たちは誰かに自分自身を事を分かってもらいたく思い、そしてその気持ちをお互いに共有できたら安心するし嬉しい。
スポーツ選手も、応援している皆さんが自分に共感し気持ちを共有していると感じる時、100%以上の力を発揮する事ができるという。
共感する気持ちを共有することは相互理解に通じる。自分を理解してくれる人が身近にいる嬉しさは何ものにも代えがたい。
そのように考えて、「利用者が幸せな気持ちになる音楽療法」にこれからも励みたい。
※1 「音楽の歌唱や聴取の繰り返しパターンが脳機能の活性に与える影響」ライフサポート Vol.26 No.3, 2014 文部科学省科学研究費補助金「挑戦的萌芽 研究(H23~H25)脳機能解析に基づく癒し感の定量化と疾 患の痛み緩和効果の検証」の支援を受けて実施した調査研究の総括。 香川大学 田所克俊, 鈴木桂輔
以上